てとろぐ

- tetolog -

#日記

私は、イラストがちょっと描ける。ワタシイラストチョットカケマス。
絵で生活してたり売れっ子の方からしたらかなり安いだろうけど、それでも人一人がプロとはまだ言えない絵描きに対して使う金額として絶対的に見たら決して安くないお金をいただいて絵を描いてもいる。
だから、卑下するのは依頼してくれる人たちに失礼だし、もちろん金銭のやりとりがなくても声をかけてくれたり応援してくれる人にも失礼だと思っている。
なので、できる限り卑下はしないように心がけている。

なんだけど、如何せん理想が高く、現状への自己評価がさほど高くないから、冷静に客観的に見てまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだだねと思っている。卑下(必要以上に自分を低く見積もる)はしてないつもりだけど、高く見積もることもできない。(もちろん、ある程度は高めに見積もっているからお金を貰っても良いという判断をしているけど)
もっと上手くなって依頼者の満足度を上げたいし、私の満足度も上げたいし、単価も上げたい。

私は人とよく比べてしまう。それはもう比べまくっては落ち込んでしまう。
本当によくないことだと思ってるけど、どうして比べてしまうのかを考えて思ったのが、そこに現れているクオリティ自体とかじゃなくて、そこに至るまでの努力や気力が、私には欠けていると思っているからなのかなと思った。
私には努力する才能がない。言霊というものを信じているのであんまり言葉にしないようには一応しているけど、でもことあるごとにこのコンプレックスが私の人生を苦しめてきた。本当に、頑張ることができない。正確には頑張らなければできないことができない。できているのは、頑張らなくてもできることだけ。つらいことに、本当に耐えられないのだ。体も精神も悲鳴を上げてしまう。わかりやすく言うと今だと鬱病の症状が悪化する。
そんな状態だから、あの人や、あの人や、あの人みたいなクオリティの高さの絵を描けるようになるまで、どれだけ努力すればいいのかと想像はできても、自分がそれをできるという想像がまるでできない。言ってしまえば未来に希望が見えなくなる。
ぐだぐだになったけど、つまり人と比べて落ち込むのは、その結果ではなく、過程への自信のなさからなんだろうな~と思った。

そして分けて考えたいのが、私は確かに承認欲求も高いのだけど、そのつらさと実際に絵を描いてるときのつらさは別物だということ。
評価して欲しいけどされないつらさと、描くつらさは別物。

そして最近は、描くつらさにぶちあたっているので、根本的に上手くならなければどうしようもないじゃんね、の場所にいる。
でも、頑張ることができない。つらい。上手くなりたい(以下ループ)

結局筋トレかな……と思う。
でも、筋トレをするための気力ない。
運動は気力や根性じゃなくて、習慣なのだという。
一理あるのはわかる、でも最初の一歩に使う多大なエネルギーが、私には、ずっとない。
多分人が思っている1/5くらいしか動いてない、私という人間は。
でも、動けない。無理に動こうとすると涙が出てくる。

そういう人間なので、(小器用だからある程度のところまではできるんだけど)ある程度までいくと何も頑張れなくて何も得意なものができないできた。
でも、最近ふと思った。
これだけ挫折を繰り返しながらも、続けているってことは、やっぱり絵を描くことが私は好きなんじゃないかって。もちろん他に手を出してきたものと比べたら気軽にできることなのもある。
だけど、絵が描けなすぎてふて寝する日もあれば、絵が描きたいな~って、ワクワクして眠れない日だってある。
昔は漫画を描いたり二次創作をしたりする手段でしかなかった絵だけど、ちゃんと頑張れてきたから、ちゃんと頑張って上手くなったことを実感しているからこそ、今絵を描くことが前よりも好きになれているんだと思う。
ずっとやってるから忘れがちだけど、続けられるというだけですごいことなんだよね。
うん、きっとそう。

No.13

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